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鳥取地方裁判所米子支部 昭和39年(わ)64号 判決 1972年8月29日

被告人 牛尾甫

大一四・一・八生 団体役員

平田義美

昭三・八・一三生・ 診療所職員

主文

被告人牛尾甫を懲役四月及び罰金一〇、〇〇〇円に処する。

右罰金を完納できないときは、金一、〇〇〇円を一日に換算した期間、同被告人を労役場に留置する。

ただし、この裁判確定の日から二年間、右各刑の執行をいずれも猶予する。

被告人牛尾甫に対する公訴事実中、暴力行為等処罰ニ関スル法律違反の点(昭和三九年一一月一〇日付起訴状記載の公訴事実第一の分)につき、同被告人は無罪。

被告人平田義美は無罪。

訴訟費用(略)

理由

(罪となるべき事実)

被告人牛尾甫は

第一、昭和三六年末頃から昭和三八年初めごろにかけて、米子市所在の博愛病院、国立病院、および鳥取県西伯郡西伯町所在の西伯病院で、主として生活保護法の適用を受けて入院している貧困者を会員として「鳥取県西部療養者生活と健康を守る会」(以下生活と健康を守る会のことを単に生健会と略称する。)が組織された際、その会長となり、また、同じころ被療養者にかぎらず生活保護法の適用を受けている貧困者を中心として、米子市および鳥取県全域にそれぞれ結成された「米子生健会」および「鳥取県生健会連合会」の書記長および事務局長の各役職にあつた者であるが、

一、昭和三七年五月二四日午前一一時三〇分頃、西部療養者生健会および米子生健会の会員等約三〇名と共に米子市中町二〇番地米子市役所庁舎内にある米子市福祉事務所に赴き、同所事務室内において、同所長戸田勇及び同所福祉係長三井寅二郎(当三五年位)等と要保護者宅の立入調査の方法について交渉中、右三井が「これだけ説明してもわかつてもらえないなら、もう話す必要はない。」と言つたことに憤慨し、いきなり右手で同人の左頬を一回殴打する暴行を加えてその場を混乱におとしいれ、もつて同人の職務の執行を妨害した

二、同年六月一二日午前九時三〇頃、右同所において社会福祉主事小川薫(当三五年)と被保護者宇野初枝方に対する住宅扶助の件につき交渉中、右小川の回答の仕方が生意気であると憤慨し、同人の胸倉をつかんで椅子から立上らせ、また、その場より逃げ去ろうとした同人に追いすがり、外に出ろと言いながら同人の胸倉を再びつかむ等の暴行を加え、もつて同人の職務の執行を妨害した

三、同日時場所において、右小川に暴行を加えた際、同事務所福祉司内藤典親(当三二年)に制止されたことに憤慨し、同人の胸倉をつかむ暴行を加えた

四、更に同所において、右内藤の胸倉をつかんだ際、同事務所社会福祉主事佐々木亮(当二六年位)が間に入つてこれをひきはなそうとしたことに憤慨し、いきなり手拳で同人の顔面を殴打し、よつて同人に対し全治約一四日間を要する左顔面挫傷、皮下血腫、左眼外傷性虹彩炎の傷害を負わせた

五、同三八年三月七日前記米子市役所第一会議室において、米子生健会会員等約五〇名と共に同福祉事務所長寺本進(当五〇年)と、被保護世帯の中学新卒業者に対する就労助成会の増額を要求して集団交渉を行つていた際、折から右交渉状況と同所長の身を案じて入室し、同所長の横の椅子に腰を下した同所福祉主事阪谷元吉(当三六年)の態度が生意気だと憤慨し、同人の胸倉をつかんで椅子から立上らせる暴行を加えた

六、同三九年二月六日午前一〇時頃、鳥取県生健会連合会会員等約二〇名と共に、前記米子市役所総務部長室において、同部長松本敬に対し、折りから同市における生活保護法の実施状況を監査中の厚生省係官と面会できるようにその取次方を執拗に要求していたが、なかなからちがあかないことから廊下に待機していた右会員らが業をにやして騒ぎだし、一般の執務に差しつかえを生じたため、当日市役所庁舎の管理権代行者であつた右松本総務部長において、同部総務課長らを介して被告人ら生健会員に庁舎外への退去を要求し、それを受けて総務課庶務係小谷敦美(当三二年)が退去要求書を総務課前廊下の柱に掲示しようとしたところ、これを妨害すべく同人の身体を押しのけて、右要求書を奪い取り、同人の左胸をかかえて隣室前まで押して行く等の暴行を加え、もつて同人の職務の執行を妨害した

第二、米子勤労者映画演劇協議会(以下米子労映演と略称する。)の会員であつたが、昭和四〇年八月一一日午前一一時四〇分頃、米子市富士見町二丁目一七九番地米子勤労者文化センター事務所内において、同所に事務局を有する米子勤労者音楽協議会(以下米子労音と略称する。)に対する入場税、法人税、源泉所得税、やはり同所に事務局を有する米子労映演に対する入場税の滞納処分として、広島国税局徴収課所属の大蔵事務官岡野進、同日野秋義等が、ほか三名の税務職員と共に、捜索差押の執行手続を終了して、差押物をたづさえ同事務所内から退出しようとした際、これを妨げるべく、ほか数人の者と共に右岡野、日野等の進路に立ちふさがり、押し合う内、右両名の下腿部を革靴ばきのまま数回づつ蹴りつける暴行を加え、もつて同人等の職務の執行をそれぞれ妨害し、かつ右暴行により、岡野に対し全治まで約一〇日間を要する左下腿部挫傷を、日野に対し全治まで約一〇日間を要する右下腿部挫創の各傷害をそれぞれ負わせた

ものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

被告人牛尾の判示第一の一、二、六の各所為はいずれも刑法九五条一項に、同三、五の各所為はいずれも同法二〇八条、罰金等臨時措置法(刑法六条により昭和四七年法第六一号による改正前のもの、以下いずれも同じ)三条一項一号に、同四の所為は刑法二〇四条、罰金等臨時措置法三条一項一号に、第二の所為中、岡野進、日野秋義に対する各公務執行妨害の点はいずれも刑法九五条一項に、右両名に対する各傷害の点はいずれも刑法二〇四条、罰金等臨時措置法三条一項一号に、それぞれ該当するが、第二の岡野及び日野に対する公務執行妨害と傷害の罪はいずれもそれぞれ一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから刑法五四条一項前段、一〇条により重い各傷害罪の懲役刑でそれぞれ処断することとし、第一の三、四、五の各罪につきいずれも所定刑中罰金刑を選択し、以上は同法四五条前段の併合罪なので、懲役刑については同法四七条、本文一〇条により最も犯情の重い岡野進に対する第二の罪の刑に法定の加重をし、罰金刑については同法四八条一項によりこれを右懲役刑と併科することとし同条二項により各罪所定の罰金額を合算し、その刑期及び金額の各範囲内で被告人牛尾を懲役四月及び罰金一〇、〇〇〇円に処し右罰金を完納できないときは同法一八条により金一、〇〇〇円を一日に換算した期間同被告人を労役場に留置することとするが、情状により同法二五条一項を適用して、この裁判の確定した日から二年間、右各刑の執行をいずれも猶予する。なお訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項本文に従い、主文のとおりその負担をさせる。

(有罪と認定した各事実についての補足的説明)

弁護人は、被告人牛尾の判示第一の各所為につき、右はいずれも、しいたげられてみじめな生活をしている生活被保護者の正当な権利を守るため、同被告人がその代表となつて保護実施機関側の者と交渉中のできごとであり、仮りに検察官主張(起訴状記載)のような外形的事実があつたとしても、それらはすべて当局側の者の不当な態度に誘発されたために発生した偶発的な事故であるし、被害の程度も極めて軽微であつて、所謂可罰的違法性を欠き、また、判示第二の各所為については、労音、労映演には入場税等の納税義務がなく、同被告人もそのように信じていたし、また本件捜索差押執行手続は、適法な立会人を置かず、且つ執行の対象を確認せず第三者の財産を差押えるなど、違法なものであつたから、所謂公務執行妨害罪の保護する適法な公務に該当しない旨種々主張し、犯罪の成否を争つているので、これらの点について、当裁判所の判断を以下補足説明する。

一、判示第一の各所為(すなわち、生健会関係の事件)発生の背景となつている一般的な事情ならびに可罰的違法性について

(一)、(証拠略)によれば、左記の事実が認められる。

昭和三六年ごろ、生活要保護世帯に対する法による保護の基準は極めて低く、そして実際の運用も厳しい査定により更にその基準を下まわる状況であつたので、被保護者は当局より扶助される額だけでは到底人間らしい生活をすることができなかつた。特に、働こうにも働くことのできない医療扶助受給者等によつては、全く別途収入の道もなかつたので、その程度はひどいものであつた。そこで、これらの者が団結して多数の力で保護行政の改善と自分達の生活の向上をはかるべく、昭和三六年暮ごろ、被告人牛尾が中心となつて判示第一冒頭記載のような西部療養者生健会が、翌三七年には米子生健会が、そして同三八年頃には鳥取、倉吉、米子、境港各市の生健会の連合機関である鳥取県生健会連合会がそれぞれ結成され、同被告人は右各団体において同判示のような各役職についた。なお、生健会は生活保護基準の引上げという政治的要求もなしていたが、それよりはむしろ厚生省の定めた実施要領の枠内での完全実施を要求することを主目的とし、これまで被保護者個人が個別に要求していた場合には実現の難しかつた年末手当の支給とか、寝具、衣類等の一時扶助費の増額などを団結して要求することにより実現し、着実にその成果をあげていた。

(二)、ところで、被保護者が団結して団体を組織し、その団体が各被保護者を代表又は代理して保護実施機関と交渉する権利があるか否かについては、別段法律上明文の根拠はないが、右実施機関である県や市には実施要領の枠内における裁量権が与えられておるので、この意味において生活保護の具体的内容を左右し得る地位にあること、前認定のとおり、実際にも査定は厳しく枠内いつぱいの支給はなされておらず、かつ交渉により支給内容が被保護者にとつて有利に変つていたこと、一般に生活保護の基準が低いこと、また、ことがらの緊急性からみて事後救済で不十分な場合もあること等の諸事情から実質的に考えてみると、これらの団体はその存在価値が十分認められるものであるから、それらの代表者又は構成員が特に違法な態度にでないかぎり、保護実施機関は同団体を単なる陳情団体とみなすことなく、保護行政実施にあたり正当な交渉相手と認め、真摯な態度で接するのが、憲法二五条、二八条及び生活保護法の各精神に照らし条理上相当と言わなくてはならない。

(三)、次に、法益侵害の程度が軽微であるため、処罰する必要がないとされる(すなわち、所謂可罰的違法性の欠如の故に犯罪が不成立となる)場合のあることは、既に学説、判例の認めているところである。しかして、その理由について、構成要件該当性が阻却されるとする見解と、構成要件には該当するが超法規的に違法性が阻却されるとする見解とが対立しているけれども、当裁判所は右のように一義的に考えず、場合をわけ、被害法益そのものがきわめて軽微で、その侵害が日常生活において左程非難に値せず、一般に看過される程度のものである場合(すなわち「一厘事件」のような場合)には、構成要件該当性が阻却されると解しても差支えないが、これに対し、被害法益そのものは、右の場合程軽微でないが、その侵害行為が、これに及ぶに至つた全事情を考慮すると、被害法益との関連において社会的に相当と言える場合には、構成要件には該当するが違法性が超法規的に阻却されるものと解する。そこで以上の見地に立ち、個々の場合につき検討する。

二、判示第一の事実について

(一)、昭和三七年五月一五日頃、米子市福祉事務所に対し、西部療養者生健会会員の山本好次からジヤンバーの支給申請がなされたので、同月一九日ごろ、担当の社会福祉主事松本義人が右山本の留守宅を訪ね、同人の妻山本静子の了解のもとに生活保護法二八条に基づく立入調査を行つた。その際、松本は必要な説明を聞いた後山本静子にタンスのひきだしを一段ずつ開けさせ、中の衣類をすべて取り出させて調べたほか、同女の息子の衣類の入つたダンボール、更に押入れの中の蚊帳、ふとん類まで詳細に調査した。そしてタンスから古いジヤンバー一着(昭和四一年押第四四号の一)が出て来たのを見て「まだ着れるじやないか。」とか「ジヤンバーくらい食べる物を節約して買つたらいいじやないか。」などと皮肉を言つたため、家中を調べられたうえ、このようなことを言われて情けなくなつていた山本静子は腹立ちまぎれに「もういらないから、やめてくれ。」と訴えるに至つた。この模様を伝え聞いた被告人牛尾等西部療養者生健会会員等は、このような立入調査の方法は人権を侵害するもので不当であるとして、これに抗議することとし、同月二四日ごろの午前九時ごろ、米子市役所に赴き、偶々来合わせた米子生健会会員も加わり総勢約三〇名で、福祉事務所内事務室において、同所長戸田勇の机を取り囲み、同人及び前記松本福祉主事等に対して、口々にはげしく抗議し、結論として「右のような調査のやり方に対する松本本人と所長の謝罪、今後このような調査(タンス、押入を開けての調査を意味するものと解される)をしないことの確約、右調査のため山本好次の息子が別居を余儀なくされ、家庭が二つに分かれたので、それに対する保護費を支給して欲しい。」旨要求した。これに対し、福祉事務所側は最初松本の調査に誤りはなかったと主張して議論は平行線をたどり、事務所内は一時喧噪をきわめ、事務に支障を生ずるに至つたので、やむなく事態収拾のため形だけでも謝罪しようということになり、松本が「家庭を二つに割つたことになつたのは申し訳ない。」と述べたことにより一応謝罪の点はおさまつた。(ただし、その際松本は腕組みをしたまま、頭を下げることなく、右のように述べたので、生健会側としてはその態度に多少不満を残していた。)次いで今後の調査の件についての交渉にはいつたが、右松本の直接の上司である三井寅二郎福祉係長が「福祉事務所としては今後人権侵害にならないよう十分気をつけるが、必要な場合には立入調査をする。」と答え、これに対し生健会会員達がなかな納得しないでいた状態のもとで、午前一一時三〇分ごろ、同係長が遂に「これだけ説明してもわかつてもらえないなら仕方がない。」と言つたことに対し、これに憤慨した被告人牛尾がいきなり机ごしに右三井の左頬を右の平手で一回殴打し、そのために同人が退席しようとするや、更にこれを追いかけ再びなぐりつけるような態度をとり、近くにいた者にとめられた。

以上の各事実が前示証拠の標目欄掲記の関係各証拠によつて認められる。尚右各証拠のうち右認定に反する部分は、他の証拠に照らしてこれを措信しない。

(二)、ところで、生活保護法二八条一項によれば、「保護実施機関は、保護の決定又は実施のため必要があるときは、要保護者の住居に立入つてその資産状況等を調査することができる。」旨規定されており、本件においては、ジヤンパー支給の申請であつたが、それは必ずしもジヤンパーに限らず、外出着として使用できる上着であればよい趣旨と考えられるから、調査の必要性がないとは言えず、立入調査をしたこと自体を不当と解することはできないところである。しかし調査に立会した山本静子をして「もういらないからやめてくれ。」と言わしめた前記松本の言動や、ジヤンパーとは直接関係がないと思われるふとんや蚊帳のたぐいまで調べたこと(この点につき松本は「今後申請があつた時に必要かもしれないと思つて調べた。」旨供述している((証人松本義人に対する裁判所の尋問調書))が、これは調査の必要性の範囲を越え、不当であることは明らかである。)等、調査の方法に若干度を過ぎた点があつたことは否定できない。したがつて、これらの点について生健会の会員等が抗議したのは無理からぬところであり、これに対し福祉事務所側がその非を卒直に認めず、ただ事態収拾のため形式的に陳謝したに過ぎなかつたのは、必ずしも妥当な措置とはいい難い。しかしながら、立入調査は人権のからむ問題であるから、その必要性の判断は慎重にすべきであり、調査方法にも十分な配慮がなされなければならないとしても、調査の要否及びその方法は具体的事例によりそれぞれ異るのであるから、妥当を欠く調査が行なわれたからといつて、以後実施機関にタンスを開けるような調査を絶対にしないと確約させようとするのは、法で認められた立入調査そのものの否定につながり、正当な要求とは認められない。これに対し、福祉事務所が人権を侵害しないよう十分に気をつけるが、必要な場合には調査をすると主張し、双方の主張が平行線をたどり容易に一致しそうにない状況のもとで三井係長が「これだけ説明してもわかつてもらえないなら仕方がない。」と言つたことは、ことのなりゆき上やむを得ないところであり、これに立腹していきなり同人の頬を平手で張るという暴行に及んだ被告人牛尾の所為は、社会観念上もまことに理不尽なものというべく、そのため同被告人等を正当な交渉相手と認めて真面目に交渉していた前記三井係長の職務の執行を妨害したものであるから、その被害の程度が判示のように比較的軽微であること、および前述のような本件に関連する事情をすべて考慮しても、その違法性を阻却する程軽微で且つやむを得ない行為である(すなわち、社会的相当性がある)とは到底認められないところである。

三、判示第一の二ないし四の各事実について

(一)、医療扶助で入院中の宇野初枝は、昭和三七年六月末の退院予定で、退院後の住宅を見つけたが、修繕を必要とする状態であつたので、六月一一日米子福祉事務所に相談に行つたところ、福祉司小川薫は口頭による修繕費の支給申請として受付け、見積書を出すように説明した。翌一二日被告人牛尾が右宇野の代理人として福祉事務所を訪ね、小川と話し合つたが、「小川が見積書を出すように。」と言い、これに対し被告人は「明日から大工が来るのでそれでは間に合わん。」とか、福祉事務所長の権限は一万円までであり、超過分については県知事の査定を経ることになるところから、急ぐことでもあり、「いくらと書くのか。」などと質問したが、小川が「とにかく見積書を出せ。」の一点張りであつたことから腹を立て、次第に興奮して大声になり、「見積書を出して分るのか。」「多少は分る。」などのやりとりをした後、「一坪に材木が何石いるか言つてみい。」と言つたところ、小川が「そんなことに答える必要はない。」と言い返したので、同被告人は憤慨の余り、「いいたんかをきつたな。」と言いながら同人の胸倉をつかんで二、三回ゆさぶりながら椅子から立たせた。これを見ていた内藤典親、佐々木亮ら福祉事務所職員が即座に間に割りこみそれをひきはなした。その時小川は前もつて呼出していた被保護者甲元幸子が来たのを見つけ、同女に渡す用紙を取りに書棚の前に行つたところ、同被告人は「逃げるか。」「外へ出ろ。」と言いながら、再び小川の胸倉をつかみ、それをまた右内藤らがひきはなした。そして小川が市役所三階の監査室に赴くべく同事務室のカウンターの外にでたところ、被告人牛尾はこれに向つて吸いかけのたばこを投げつけながら急いで追つて行き、「逃げるのか。」と言つて小川の胸倉を三度つかみ内藤らがこれをひきはなしたが、その時小川の着ていたシヤツの胸のボタンがちぎれた。すると、被告人は今度は右制止されたことに立腹し、「殴られたいのか。」と言いながら内藤の胸倉をつかみしぼりあげるようにした。そして、これを前記佐々木に腕を強く掴まれてひきはなされると、腕を掴まれて痛かつたことから、やにわに同人に対し、手拳を突き出すようにしてその顔面を殴打し、判示のような傷害を与えた。

以上の各事実が、証拠の標目欄記載の関係各証拠によつて認められ、右証拠のうち前記認定に反する部分は他の証拠に照らしてこれを措信しない。

(二)、ところで、宇野初枝の修繕費の申請は、ことがらの性質上急を要するものであることは明らかであり、また支給金額にも前認定のような事情があつたのであるから、小川福祉主事としても申請者の意図をくみ、丁寧に説明して相手を納得させるように応待すべきであつたと思われる。しかるに、同主事が規則一点張りのかたくなな回答をなし、柔軟な態度が欠けていたことが被告人牛尾を刺激した一因であると認めるに難くない。しかしながら、右のような事情にあり、かつ本件各侵害行為が相手の胸ぐらを掴む程度の比較的軽微なものであるとしても、それは余りにも執拗に繰り返され、また大体同一日時場所において行なわれた一連の行為であつて、最後には佐々木に対して全治まで二週間を要する前示のような傷害を負わせたものであるから、これらをもつて、違法性が阻却される程社会的に相当な行為とは到底認め難い。

四、判示第一の五の事実について

(二)、昭和三八年三月七日午前一〇時ころから、米子市役所三階の第一会議室において、米子生健会会員等約四〇名余りと米子市福祉事務所長との間で被保護世帯の新中卒者就労助成金の支給等についての交渉が行なわれたが、生健会側は限度額一杯の一率三万円の支給を要求したのに対し、当局側はこれに応ぜず、交渉は難行して夜に及び、被告人牛尾は別の用件で鳥取市に出向いていたため午後九時ごろになつて初めて右交渉に加わつた。その間福祉事務所の職員は交渉の経過を見守りながら階下事務室で待機し、二、三人が交代で会議室に入つていたのであるが、午後九時三〇分ごろ、福祉事務所堀井指導員より「誰か代つて会議室に上つてくれ。」と言われたので、阪谷元吉福祉主事ら四人の職員が直ちに会議室に赴いた。そのころ、交渉は中断しており、牛尾等生健会幹部の者は一ヶ所に集つて何か相談している様子であつた。そこで右阪谷らが所長の後方の椅子に腰を下すや、これを認めた被告人牛尾は「何しに来たか。君達も労働者なら我々と一緒になつて、所長に向つて要求せよ。そうでなかつたら出て行つてくれ。」等と演説口調で申し向け、更に阪谷に近づいて「何しに来たか。」と咎めるように言つたのに対し、同人が「所長の身が心配だから来た。」と腰を下したまま答えたことに憤慨し、同人の胸倉をつかんで立たせ、阪谷の抗議ですぐ手を離したが、同人が坐るや「立て」と命令口調で同人を立たせたうえ、他の生健会会員等に向つて「これが阪谷という奴だから覚えておけ。」と言つた。そしてその後も「池田反動内閣の手先のような顔をして……」「ボデイガードのような大きな顔をしてそんな所に坐るのだつたら出て行け。」等とはげしく阪谷を非難した。

以上の各事実が証拠の標目欄記載の関係各証拠によつて認められ、右証拠のうち前認定に反する部分は他の証拠に照らしてこれを措信しない。

(二)、ところで、被告人牛尾の右所為は単に相手の胸ぐらを掴み椅子より立ち上らせただけで、すぐ離しているのであるから、そのことだけを見ると軽微な有形力の行使であることは否定し難い。しかしながら、本件は四〇名余りの多人数を相手とした極めて長時間にわたる交渉だつたのであるから、職員が自分らの上司である所長の身を案ずるのはむしろ当然であり、それに対して、被告人牛尾が「自分達と一緒になつて所長と交渉せよ。」と要求することは、もともと無理な話であつて、阪谷において多少同被告人に反発を感じさせるような態度をとつたとしても、同人には特に責むべき点は存しないこと、及びその他の全事情を総合して見ると、被告人牛尾の本件所為は明らかに不法なものであつて、処罰に値いしない程軽微でやむを得ないものとは認められない。

五、判示第一の六の事実について

(一)、昭和三九年二月六日午前一〇時ごろ、鳥取県生健会連合会の会員約五〇人が、当日、生活保護関係事務の監査のため米子市役所に来ていた厚生省係官との面会をする目的で同市役所に赴き、その内約二〇名が同市役所総務部長室に入りこみ、面会の斡旋方を総務部長松本敬に申し入れた。ところが厚生省係官は当初から生健会員との面会を拒否しており監査室にあてられた二階応接室のドアの鍵を内側からかけ、また同室内備付の電話の受話器もはずしたままにして、外部からの連絡は一切できない状況であつたため、同部長としてはとりつくしまがなかつたのであるが、生健会員等は執拗に右の要求を続けた。そこで松本総務部長は「私ではどうしようもないから帰つて欲しい。」旨再三にわたつて申入れたが、生健会員等はひきさがらなかつた。このような状態で交渉は平行線をたどつたまま午後二時過ぎころまで経過したところ、厚生省係官があくまでも面会に応じない以上、話は一向に進まないし、また同部長が市議会に出席すべき時間にもなつていたうえ、廊下に待機していた三、四〇人の会員等が前記応接室のドアを叩いたり、「面会させろ。」などと大声でどなつたり、或いはワツシヨイ、ワツシヨイと喚声をあげながら市役所二階廊下をデモ行進をし、同庁舎内は非常に喧噪な状態となつたため、一般の執務に支障を生じてきた。そこで遂に、松本部長は、あらかじめ打合わせていた合図にしたがつて、同市役所畑中総務部長に対し退去要求をなすように指示した。これを受けた同課長は自己の机の付近で携帯マイクを持ち、集つていた生健会員等に向けて「一〇分以内に市庁舎より退去してもらいたい。」と二回にわたり放送した。(しかし、右のとおり市庁舎内は非常に喧噪をきわめていたし、また同総務課長は大変あわてていたので右マイクの声が生健会員全員に聞えていたかどうかは疑問である。)その直後、同課原谷庶務係長が同課長の指示であらかじめ作成していた退去要求書に時間を書き入れ、それを同係員小谷敦に生健会員等に見えるように提示することを命じた。そこで同人は総務課前廊下の柱にこれを貼ろうとしたところ、それを知つた被告人牛尾は、走つて右小谷に近づき、同人の身体を押しのけるようにして右退去要求書をはぎとり、更に同人の腕をとつて総務課横の農業共済組合の部屋に赴いた。そこで前記原谷係長に対し「誰が退去命令を出したのか。」と尋ねたところ、原谷が「総務部長である。」旨答えたので、今度は原谷と共に同部長室に引返し、松本総務部長にその旨確かめたが、同部長はこれを肯定した。その後、原谷は、もう一枚の退去要求書に時間を書き込んだうえ、それを掲げて部長室、廊下を廻り、更にマイクでもその旨放送もした。

以上の各事実が証拠の標目欄記載の関係各証拠によつて認められ、右各証拠中前認定に反する部分は、他の証拠に照らし、これを措信しない。

(二)、ところで、右説明のとおり、小谷が退去要求書を貼るのを妨害した後における被告人牛尾の行動及びその余の事情からみて、同被告人がマイク放送で退去要求のなされたことを知らなかつたのではなかろうかと推測できないこともない。しかし、たとえ知らなかつたとしても、当時は退去要求をされるのもやむを得ない状況であつたし、また退去要求そのものはまず口頭でなされる必要はなくいきなり書面でなされても差支えないものであるから、本件退去要求は有効になされたものと認めるのが相当である。そして被告人牛尾は当時、松本総務部長と面と向つて交渉していたのであるから、わざわざ退去要求書を貼ろうとしている現場まで赴き、これを妨害する必要はなく、その場で同部長に何を貼ろうとしているのか、何故退去要求をするのかということを確認することは容易にできたことである。そうすると、被告人牛尾の本件所為は、正当な公務の執行を不法な有形力の行使によつて妨げたことになるから、それによる侵害の程度が比較的軽微で、且つ、厚生省の係官が、生健会員との面会をかたくなに拒否したという前認定のような、同被告人に有利な事情を考慮して見ても、真にやむを得ない(すなわち社会的に相当な行為)ものとはいい難く、可罰的違法を欠くものとは到底認められないところである。

六、判示第二の各事実(すなわち労音事件)について

(一)、(証拠略)を総合すれば、次の1ないし10記載の各事実が認められる。なお、右各証拠のうち、左記の認定に反する部分は他の証拠に照らしてこれを措信しない。

1、米子労音は、米子市及びその附近在住の勤労者等に、良い音楽をより安く鑑賞させ、民主的な文化の発展普及に寄与することなどを目的として存在する法人格を有しない団体であつて、代表者の定めがあり、機関及び役員ならびに事務局を持ち、その運営方法については規約により議決機関の決議に基づき、米子労音の名と責任において例会(音楽会)を開催する等の活動をしている。そして例会の開催及びそれにともなう出演者との契約、会場の借受けなどについては、個々の会員が権利主体となつてこれに当つているのではなく、個々の会員とは独立に、労音自体が法人格を有しない社団として各契約の当事者となり、これを主催して各会員に鑑賞の機会を与えているものである。また労音の会員となるため入会するには、資格制限は全くなく、何人でも入会金と会費さえ払えば直ちに入会でき、脱会は自由で会費を納めなければ脱会したことになる。(なお、脱会しないで例会に参加しない場合、維持会費を払えばよいことになつているが、労音では入会金より維持会費の方が高くなつている。)会員には会費を払えば例会入場券が与えられるが、それがないと会員であつても原則として例会に参加すなわち、催し会場に入場できない。そして、例会当日の入会も認められ例会の内容により会費の額が異つている。以上のことは米子労映演についても目的が映画演劇の鑑賞であるほかは、全く同様である。

2、米子労音は昭和四〇年八月初旬ごろ入場税、法人税、源泉所得税等合計約一〇二万円に達する税金を滞納し、そのうち一部には同年八月二〇日の経過で消滅時効にかかるものがあり、米子労映演もその頃合計約四一万円の入場税等を滞納していた。

3、そこで、米子税務署は監督官庁である広島国税局と相談のうえ、国税徴収法に基づく滞納処分として米子労音、同労映演の財産を捜索差押をすることとし、八月一〇日広島国税局から派遣された職員を含めて、米子税務署においてその打合わせをしたが、従前他の労音に対する差押の際、相当妨害された例があつたことから、秘密裡に行なうことを第一とし、また捜索に際し、労音、労映演関係者の立会拒否が予想されるが、予め立会人を外部に依頼すると事前にもれることがあるので、これをおそれて税務署内部の者を立会人にあてることとした。(税務署当局としては、大蔵省の出している国税徴収法一四四条関係の基本通達によれば「税務職員については、他に立会人を求めることができない場合等、真に止むを得ない事情がある場合を除き、立会人としない。」旨の規定があることより、その反対解釈として例外的には税務職員を立会人にすることも許される場合があり、本件はこれに該当すると解した。また、米子警察署に対してはその際の警備を依頼し、承諾を得た。

4、八月一一日午前一〇時過ぎごろ広島国税局徴収部徴収課指導係長岡野進、同係員日野秋義、および米子税務署徴収課長秋庭功ら税務署員約一五人が、米子市富士見町二丁目所在の米子文化センターに赴き、右岡野を指導者として日野、谷野忠明、上山梅信、合田某の五人が捜索班として同事務所内に入り、秋庭が現場指揮班長として入口附近に綱を張り立入禁止の標示をして附近で見張り、他に預金調査班、機動班、写真班などを構成して万全を期していた。当時右文化センター事務所の中には、美柑潤治(労音事務局長))、佐野昭夫(関西共同映画社職員))、美濃部真代(労映演事務局員)等がおり、山根紀子(労音事務局員)は税務署員等が赴いた時は不在であつたが、その直後外出先から帰つて来た。前記岡野は、右事務所に入るや、労音、労映演の区別を明確にすることなく、先ず美柑に対し、滞納税金の任意納入方を求めたが、当時全国労音連絡会議が東京で当局側の主張する納税義務の有無につき訴訟中であることを理由に、同人からこれを拒否された。そこで直ちに捜索差押に入ることとし、同人に立会人になるよう求めたが、これも拒絶されるに至つたので、前述のように予め用意し、文化センター前まで同道していた税務署員二人を立会人として呼び入れ、前記日野等と共に早速捜索に着手した。(なお、右立会人の件については、後刻差押執行中に労音関係者等から同じ税務署員が立会人になるのは公正を欠き不当である旨の強い抗議がなされた。)これを見た美濃部真代は一時外に出て労音、労映演関係者等に電話で差押えの始まつたことを知らせた。

5、岡野は美柑の机から捜索を始め、先ずその上に置いてあつた手提金庫内の現金を押えた。日野は当時佐野昭夫が坐つていた机(これは同人が普段使用しているものでなく、有限会社みどり印刷の従業員で労映演の事務局長を兼ねていた佐野昇の事務机である。)から捜索を始めたが、佐野が机の前の椅子に坐つたままでいると、「邪魔になるからどけ。」と言つたり、机の上にあつた同人所有のボストンバツクの中味まで捜索しようとしたので、同人が「これは私物だから」と言つて拒否したところ、「邪魔をすると公務執行妨害で逮捕するぞ。」と言うなど強い態度に出て、同バツクの中をひつくり返して全部調べた。その後同机のひきだしの中を調べたところ、菓子箱から現金六五、三〇〇円くらい在中の封筒、小切手、預金通帳、印鑑数個、労音の例会入場券などが出て来たが、その内、現金入り封筒には「みどり印刷」の表書があり、小切手も「みどり印刷」宛で、通帳も「みどり印刷」代表者名義のものであつた。この捜索の際、佐野、美濃部らから「それは関係のない金だ。」「みどり印刷のものだ。」との抗議が再三に亘りなされていた。岡野と日野はこれらの帰属について暫時相談したが、同センター表出入口にみどり印刷の表札は掲げてあつたものの、税務署への届出がないから架空の会社であると速断し、また佐野昭夫は労音の常勤事務局員であるとの岡野の調査結果をも軽信し、それらのことを前提として、小切手につき発行日付が古く金額も端数であつて労音の会費としてはおかしいと思いながらも、流通性のある有価証券であることを理由に、いずれも労音に帰属するものと判断してこれらを差押えた。(なお、右の預金及び有価証券の差押につき、後日有限会社みどり印刷から異議の申立がなされこれが棄却されたので、広島国税局の協議団に続いて審査請求がなされたところ、差押えは違法であるとして取り消され、同会社に差押物が返還された。)その後、岡野は山根の机を捜索したがひきだしから同女のハンドバツグを取り出して勝手にこれを開けたため、同女が泣き声で抗議したりした。

6、なお、右文化センター内には、米子労音、米子労映演の他に「有限会社みどり印刷」が事務所をおき、関西共同映画株式会社山陰出張所も連絡事務所として使用していたが、その間に仕切りを設けるとか、或いは各机の上に団体名を表示した表札を備えつけるとか、外部の者に一見してそれと分るような区分はなされていなかつた。岡野は本件捜索に先立ち、同年八月初めごろ、文化センターを二日間にわたつて内偵し(ただし、一日に午前と午後の二回近くから見た程度)、それに市民から得たという情報(佐野昭夫が労音の事務局員で月給が二万円であると八百屋の人に聞いたというもの)、税務署員が納税の関係で訪ねた時の状況を加えて、松田会長、美柑事務局長、山根、佐野昭夫(以上労音)、美濃部(労映演)が常勤者であり、同人等が使つている机、椅子はそれぞれその属するところのもの、その他の備品、什器は労音のものと認定し(尚、差押調書によれば机と椅子二組が労映演のものとなつているが、岡野の供述からみてどれが労映演のものと認定されたか不詳である。)、文化センターには、労音、労映演とともに「有限会社みどり印刷」の表札が掲げてあつたが、税務署への届出がなかつたことから、架空の会社であると判断し、それ以上の調査をしていなかつた。

7、ところで「有限会社みどり印刷」は、主として労音、労映演関係の印刷をするために設立され、米子労音の松田勝三会長がその代表取締役となり、米子市車尾に工場を持ち、同文化センターを事務所として佐野昇が会計を担当し、捜索当日佐野昭夫が坐つていた机を使用していたが、同人は常時事務所にいるという態勢にはなかつた。(佐野昇は労映演の事務局長でもあつたが、その事務はすべて美濃部真代に任せており、時折り相談に応ずる程度で労映演から何らの給料も受けていなかつた。)また、佐野昭夫は労音、労映演の事務局員ではなく、株式会社関西共同映画社のセールスとして、文化センターを連絡事務所として使用していたが、定まつた机を持たず適宜空いた所に坐つており、関西共同映画社としては同人の名刺を表に貼つている程度で標札を出していなかつた。

8、税務署から差押に来たとの連絡を受けた相被告人平田は午前一〇時三〇分ころ文化センターに赴いたところ、入口附近には数人の労音、労映演関係者が集まつており、税務署員がこれらの者の入ることを制止していたが、被告人平田はこれをたくみに避けて中に入り、同じころ三五才くらいで色白の太つた氏名不詳の男も入つた。事務所内では美柑、佐野、山根、美濃部らが執行を見守りながら大声で抗議していたが、途中から入つた被告人平田及び右氏名不詳の男も加わり、特にその男はポスターを巻いたもので机を叩いたりしながら被告人平田と共に大声で、みどり印刷に帰属すると思われる現金、小切手等の押収手続をしたり、事務所所在の什器類に差押え札を貼付していた日野、岡野等の税務署側職員に対して、「やめろ、やめないと殴るぞ。」「白昼強盗だ。」「月夜ばかりではないぞ。」「世の中が変つたらお前らは絞首刑だ。」などと口々に叫び、その後入口附近に来た被告人牛尾も事務所外から「外へ出ろ。捜索をやめろ。」「白昼強盗だ。」などと大声を出し、同事務所の内外は非常に喧噪を極めていた。

9、午前一一時過ぎ、捜索差押が終りに近づいていたころ、松田勝三労音会長がやつて来て、岡野に対し「これはどういうことか。経過を説明してくれ。」「財産の区分はどうなつているか。」等と尋ねたが岡野は「美柑に話してあるから後で聞いてくれ。」と答えたのみで、相手にしなかつた。そこで、そのころ入室していた米村健市議会議員及び被告人平田らも、口々に「会長がきたのだから説明せよ。」「やり直せ。」などと言つたのに対しても、岡野は「署に広島からおえら方が来ているからそちらに聞いてくれ。」と言うのみで、それ以上の説明をしなかつた。その間に前記合田が差押調書を作成し、机、戸棚など什器類の差押物の保管を美柑が引き受けたので、一一時三〇分ころ、岡野は捜索差押の終了を宣言した。そこで岡野等税務職員は、現金、有価証券等の差押物を所持している合田を先頭にして同事務所より退去しようとしたところ、松田会長が「説明せず帰つては困る。」となおも説明を求めた。そのころ外にいた被告人牛尾等数人も右終了宣言と共に立入禁止の繩がとかれたので、どつと事務所内に入り、狭い室内はごつた返した状態になつた。その中で、合田、上山、谷野は余り妨害を受けることなく退出できたが、岡野、日野は多数の労音関係者に進路を阻まれ、出ようとして押し合う形になつていたとき、被告人牛尾が「この野郎」と言いながら岡野の下腿部を数回蹴りつけた。そして近くにおり「痛い、痛い」との岡野の声を聞いた日野は、岡野と牛尾の間に自己の右足を入れて、岡野の蹴られるのを防ごうとしたので、被告人牛尾は今度は日野の足を数回踏みつけるようにして蹴つた。このような状態になつたため、岡野が「機動隊を呼べ。」と言つた声に、労音関係者が一時ひるんだので、その間に岡野、日野は辛うじて退出した。そして医師の診察を受けたところ、両名は判示の各傷害を負つていた。

10、なお、前述のように税務署員二人が立会人となつたが、労音関係者から「税務署員でないか。」と言われるや「今日は民間人として立会う。」と弁解して、また、事務所の中にある物は、ボストンバツグの中の物でも、一応押えてから後で判断すればよいと考えて、差押の妨害をされないように看視していたと供述するように、(前掲証人中西義正の供述部分)、その立会は全く税務署側に偏した態度で行なわれ、私物に対する不当な捜索だとの抗議を受けても、ただ「見ております。」と答えただけで極めて公正を欠くものであつた。

(二)、そこで以上認定した諸事実に基づき、本件捜索差押に従事した岡野等税務署職員の執行行為が、公務執行妨害罪の保護する適法な公務に該当するかどうかについて検討する。

1、労音、労映演の納税義務について

弁護人は、労音、労映演は権利能力のない社団であるから納税義務がなく、特に入場税については、例会は会員が自ら運営開催するものであつて、見せる者と見る者の対立がなく、入場税法にいう「催物」でないし、会費は入場料ではなく対価性を有しないから納税義務はない旨主張する。

しかし、前認定のとおり、労音、労映演が個々の会員から独立して、その名と責任において例会活動を行なつている以上、これを「催物」であるとみることを妨げず、また会費と引換の例会券が入場券代りとなつていること、例会により会費が異ること、特定の例会だけでも会員として参加できること等から考えると、会費の対価性は否定できないところである。また法人税、所得税、所得税の源泉徴収については、本件で問題となつている昭和三五年度以前に、各法律上、権利能力なき社団にも納税義務のあることを認めているのである。したがつて、右主張は採用できない。

2、立会人の点について

(イ)、本件捜索差押執行の立会人二人がいずれも税務署職員であつたことは前認定のとおりである。しかして国税徴収法一四四条には「徴収職員は、捜索するときは、その捜索を受ける滞納者若しくは第三者又はその同居の親族若しくは使用人その他の従業員で相当のわきまえのあるものを立ち合わせなければならない。この場合において、これらの者が不在であるとき、又は立会に応じないときは、成年に達した者二人以上又は市町村の吏員若しくは警察官を立ち会わせなければならない。」と規定されており、同条関係の大蔵省基本通達8項には、「税務署の職員については、他に立会人を求めることができない場合等真にやむを得ない事情がある場合を除き、立会人としない取扱いとする。」旨定められているのであるが、これらの規定の趣旨は、捜索は他人の人権にかかわる強制処分であるから、公正且つ適法に行なわれることを担保するため、あくまでも立会人を必要とすることを強調し、同時に、法にいう「成人二名」の中には形式的には税務職員も含まれるように解せないこともないが、それではどうしても公正が保ち難いので、原則としてこれを除くこととし、法に規定のある一般の成人二人以上又は市町村の吏員、若しくは警察官等そのいずれに対しても立会を依頼できず、また依頼してもその承諾を得られない場合であつて、しかも捜索が急を要し、これを後日に変更すればその目的が達せられないような差し迫つた事情にあるときのみ、例外的に税務署の職員にも捜索の立会人となることを認めたものと解するのが相当である。

(ロ)、そこで以上の見地に立ち本件を考えてみるに、(a)、一般市民の成人者二名については、従前立会人となることを依頼した例もなく、幾分紛糾の予想される捜索差押の立会人として適当かどうかについて疑問があるし、また誰しも他人の紛争にまきこまれるのは好まないので、依頼しても拒否される可能性が多いことから、これに依頼しなかつたのは一応やむを得ないと考えられる。(b)、次に市町村吏員については、税務署側の言い分としては、当該吏員の中には労音や労映演の会員又は関係者が多数いるので、捜索の性質上秘密保持のため、予め依頼しなかつたというのであるが、この点も一応やむを得ない事情として首肯できないことはない。しかし、本件捜索の現場と米子市役所との間は僅かに四ないし五〇〇メートルくらいしかなく、歩いても数分間で到達できる距離にあつたのであるから、労音関係者から立会を拒否された段階で直ちに市役所に赴き立会を依頼することができたと考えられるし、(c)、また、警察官については、税務署側として果して真剣に立会人になることを予め依頼したかどうか証拠上頗る疑問(この点について、前掲証人秋庭功は、「米子警察署に赴き、立会人の件を依頼したが断わられた。」旨供述しているが、「その際警備も依頼し、警備については承諾を得た。」「従前警察官には立会人になることを依頼したことはない。」とも述べているので、前記立会人の依頼をした旨の供述はたやすく措信できない。)であることと、仮りに予め警察の幹部に立会人の件を依頼し、これが承諾を得られなかつたとしても、前記美柑に立会を拒否された際、既に警備の警察官は現場附近に赴いていたのであるから、その事情を話して立会人となつてくれるよう強く要請することはできた筈である。

しかるに、税務署側としては本件捜索に着手する以前、前述のような努力を何等なすことがなく、美柑に立会を拒否されるや、直ちに予め準備していた税務署の職員二名を立会人として呼び入れ執行着手したのであるから、これをもつて、前記通達にいう「真にやむを得ない場合」にあたるとは、到底認められないところである。しかも右立会人となつた税務署職員の態度は、前記(一)10で認定したとおり決して公正であつたとは言い難く、法一四四条の趣旨からかなり離れたものであつたのであるから、本件は適法な立会人を置いた捜索であつたと言うことはできず、この点について手続に瑕疵があつたものと認められる。

(ハ)、しかし、右のとおり適法な立会人が置かれていなかつたとしても、本件では、多数の労音、労映演の関係者が現場において、税務署職員の捜索差押状況を終始見守つており、且つこれらの者達が必死になつて大声で最後まで抗議をし続けていたことは前認定のとおりであるから、捜索を受ける側の者による事実上の立会はなされていたと解することができる。したがつて、右の点の瑕疵は本件捜索、差押手続全体を違法とする程重大なものとは認められない。

3、捜索の対象を確認せず第三者の物を差押えたことについて

岡野が内偵などによつて文化センター事務所内の労音と労映演の占有区分を認定し、有限会社「みどり印刷」の名義のものを労音のものとして差押えたことは前認定のとおりである。岡野は内偵調査の結果を過信し、日野は岡野の言に盲従しているが、有限会社「みどり印刷」を税務署への届出がないことだけで架空の存在と速断したり、市民の情報を全面的に信用したりしているが、佐野昭夫が労音の専任事務局員で月給が二万円というのは、労音内部からの情報でない限り全く信用性が乏しいと考えられること(岡野はこの点につき、受命裁判官の尋問調書で、情報提供者の名前は忘れたと称して八百屋の人としか供述していない。など、内偵調査そのものが極めて粗雑であつたと言わざるを得ない。また、捜索差押の方法にしても、捜索に先だつて物の帰属を確認するとか、「みどり印刷」名義の金銭や有価証券が出てきた段階で、改めて確認を試みるなどの慎重な配慮に欠けており、妥当であつたとは言い難いところである。

もちろん、労音、労映演は趣旨を同じくする組織であり、前認定のとおりこれらと「みどり印刷」とは密接な関係にあつて、これらの三者が特に内部で明確な区分することなく共同事務所をかまえていたのであるから、事務を相互に助け合い協力関係にあつたことは十分考えられるが、組織が異る以上同一の権利主体として取り扱うことのできないことは当然であり、ましてそれらの会計が一緒であつたとうかがわせるに足る証拠はない。(岡野は、美柑が労映演に属していないことを知つていながら、労映演の関係でも同人を相手にしておることは、文化センター内には、労音と労映演の二団体だけが存在し、しかも両者を事実上同一の団体と考えていたのではないかと疑わしめる程である。)

このように、執行の対象の確認が十分であつて、その結果、第三者である有限会社「みどり印刷」の財産を差押えた本件執行行為は、前述のようにそれが協議団によつて取り消されるまでもなくその部分につき違法であることは明らかであり、またそれが全体としても瑕疵を帯びることも否定できない。しかしながら、前認定のとおり、文化センター事務所においては、内部的には何ら明確な区分もなく、机を五つ突き合わせて並べ、一個の団体が事務をとつているような外観を呈していたのであるから、外部の者にとつて、どの団体がどの部分を使用し、どの財産がどの団体に帰属するのかを見分けることは頗る困難であつたと考えられるし、また同事務所員等の非協力的態度及び現場が非常に喧噪を極めていたことなどからみて執行の段階になつてから、個々の財産の帰属を一々確認することは、その効果が余り期待できなかつたと認められるので、これらの事情をすべて考え合わせると、その瑕疵は、強い非難に値する程大きなものということはできないので、これが存在するからと言つて、本件執行行為全体を違法と断ずるのは相当でない。したがつて、岡野等のなした本件執行行為は部分的には違法の点が存するけれども、全体としてこれを見た場合、未だもつて刑法上の保護に値しない程違法な職務の執行とは認められない。

4(イ)、次に被告人らは労音や労映演に納税義務がないことを確信していたと主張する。なるほど入場税についていえば、権利能力なき社団である労音、労映演に義務があるかは法文上明確でないところ、理論的にそのように解釈することは必ずしも不可能ではなく、労音全国連絡会議が納税義務のないことを主張して訴訟を提起していたことも事実であるが、この解釈が一般的であつたわけでもなく、また一審判決でそのことが認められていたのでもないから、通常人としてそのように信ずべき相当な理由があつたとは到底認められない。したがつて、右主張は理由がない。

(ロ)、また、昭和三六年ごろ、米子労音会長と米子税務署長との間で労音全国連絡会議が提起している訴訟の第一審判決が近く出るのでそれ迄強制処分をしないとの約束があつたと主張する。しかしながら、右約束は、当時全国的に前記訴訟の経過を見守つていた時期であつたから、その段階で今すぐ強制処分をしないというものにすぎないのであつて(前掲証人服部重義の供述部分)、このことは昭和三九年ごろ、米子労音の電話加入権(会長個人名義)が米子税務署より滞納処分として差押えられ、これに対する異議が却下されたのに、その後米子労音は何ら争つていないこと(前掲証人松田勝三、同美柑満治の供述部分)からも十分うかがえるところである。したがつて右主張も理由がない。

(三)、そこで被告人牛尾の所為について検討する。

前認定のとおり、被告人牛尾は、午前一一時ごろ、文化センター入口前に到着したが、立入禁止の繩が張つてあつたので、中に入ることができず、外から声を出して執行の不当なことをなじつていたところ、執行終了の宣言と共に立入禁止の繩がはずされたので、これと同時に事務所内に入り、岡野等の退出を妨げるべく、その進路に他の労音関係者等と共に立ちふさがり、説明を求めながら押し合ううち本件各暴行に及んだものである。

ところで、本件執行行為は刑法上違法といえないまでも妥当ではなく、また松田労音会長が捜索を受けた側の責任者として岡野に説明を求めたのはむしろ当然であつて、税務署側も相当の多人数で執行をなし、しかも立入禁止の措置をとり、警察官による警備もなされていたのであるから、多少の暴言はあつても、それによつて特に身に危険を感じる程の状況にあつたとは考えられず、また、年輩の松田会長や米村市会議員等が到着した段階では、以前よりむしろ穏やかになつていたのであるから、岡野としても同会長に対し執行をした側の責任者として一応の説明をしてから退出するべきであつたと思われる。このような事情からして、会長に対する説明を求めるため、岡野らの退出を一時阻止する所為にでたことは、相当の行為として理解できないこともないが、数回にわたり岡野らの下腿部を靴ばきのまま蹴りつけ判示のような各傷害を負わせた被告人牛尾の所為は明らかに行きすぎであつて可罰的違法性がないとは到底認められないところである。

七、なお、以上一から六までに認定した諸事情のうち、当局側の者のとつた態度は、前説明のとおり、被告人牛尾の判示各所為の可罰的違法性を否定する事情にはなり得なかつたとしても、同被告人が本件各犯行に及ぶに至つた原因となつていることは容易に肯認できるので、そのことは、本件各罪に対する同被告人に有利な量刑の事情として、十分斟酌し得るところである。

(被告人牛尾に対する公訴事実中無罪部分について)

一、昭和三九年一一月一〇日付起訴状記載の公訴事実第一の要旨は、「被告人牛尾は、昭和三九年二月五日午後一時五分ころ、鳥取県生健会連合会会員約一〇名と共に、鳥取市東町一丁目、鳥取県庁二階の厚生部長室において、厚生援護課長平岩照耳(当四七年)らに対し「生健会事務所の補助金を出せ。」等と要求し、その回答を迫つたところ、同人が所用で同室から出ようとしたため、その場にいた右会員数名と共同して、右平岩に対し同人の後方からその首に手を廻して同人を後方に引張り、或いは手や身体で同人の身体を押す引く等して、もつて数人共同して暴行を加えた。」というのである。

二、そこで検討するに

(一)、(証拠略)を総合すれば、次の事実が認められる。なお、右各証拠のうち左記認定に反する部分は他の証拠に照らしてたやすく措信できない。

(1)、昭和三九年二月五日正午過ぎころ、会長川西基次および被告人牛尾を含む鳥取県生健会連合会所属の代表会員約一〇人は、鳥取県庁を訪ねて厚生部長に面会を求め、二階厚生部長室において、加倉井同部長、平岩厚生援護課長等と対談し、生健会連合会事務所建設の助成金、新中卒者就労助成金、新入学入園児童生徒の支度金の支給等を要求し、川西会長及び被告人牛尾が主としてその交渉にあたつた。同部長は「よく検討し後日文書で回答する。」と答えただけで、話し合いはそれ以上進まなかつた。午後一時前ころ、予算査定会に部長、課長は出席するようにとの連絡があつたので、加倉井部長は生健会の要求につき何らの結論を出さぬまま同室より出て行つたが、これに対し生健会員等は別に退出を妨げなかつた。しかし続いて平岩課長も出ようとしたところ、出入口附近にいた会員数人が「まだ話が済んでいない。」「課長は残つて話を続けろ。」と言いながら進路に立ちふさがり、津村某が後から平岩のズボンのベルトを引張るなどした。(同人は県職員に注意されてすぐ離した。)そこで、県職員が川西会長に「予算査定会があるから行かせてくれ。」と頼んだところ、川西はそれを確認したうえ、「わかつた。だが、この二つだけはここでめどをつけて欲しい。」と事務所建設の助成他一つの要求につき善処を求めたが、平岩課長は前同様「後で文書で回答する。」旨答えるのみで、あくまでも出て行こうとした。それを見た被告人牛尾は「まだ話が済んでいない。」と言いながら、同課長の背後から右手を平岩の右肩からあごにかけて抱きかかえるようにして引きとめたが、県職員に注意されて即座に手をはなした。また平岩課長は同被告人からあごに手をかけられた瞬間、直ちに姿勢を低くしてこれをはずし、その後妨害されずに退室した。

(2)、そこでまず同被告人の右所為が、他の会員と意思相通じて、所謂「数人共同して」なされたものであるか、否かの点について検討する。

当時在室していた生健会会員全員が話し合いの続行を求める意思を有していたことは十分推測できるのであるが、右認定のとおり、出入口付近での退出阻止やベルトを引つ張るという若干のトラブルが発生した後に川西会長と平岩課長の話し合いが行なわれ、その間は一応生健会会員等の行為は中断していたとみられるので、被告人牛尾の本件所為が右トラブルに関与した他の生健会会員等と意思相通じたうえ、共同してなされたものと見るのは相当でなく、他に右の点を証明する証拠はない。したがつて本件は数人共同してなされたものと認めることはできない。

(3)、次いで、本件所為による侵害の程度ならびに可罰的違法性の有無について検討する。

ところで、職務のために退出しようとした平岩課長を実力で阻止することは確かに許されないことであるが、前記話し合いにおいて何らの結論も出さず、また交渉のめどもつけないまま加倉井部長が退出したので、せめてもう少し具体化した解答をと求めていた生健会員等の気持が、後に残つた平岩課長に向けられていたことは否定し難い事実である。そして生健会事務所の助成金の点はともかく、新入学児の支度金の支給などは生健会が粘り強く交渉することにより、増額されたこともあり、それら要求の目的は一応正当であつたと認められる。また、前述のとおり、生健会員等が団結し、保護実施機関である県、市当局と団体交渉を重ね、その実績をあげていたのであるから、本件においては、予算査定会出席という差し迫つた事情があつたにせよ、右加倉井、平岩等県当局者は、今少し思いやりがあり、且つ相手を納得させるような態度で接すべきであつたと考えられる。したがつて、加倉井厚生部長らの前認定のような全く事務的で素つ気なく、かつ一方的な態度に対し、話し合いの続行を求め何らかの成果を得ようとした被告人らの本件所為を一概に非難することはできない。しかも、同被告人の右所為は前述のような意思のもとに半ば反射的に行なわれたものとも考えられないことないし、それは極く短時間(一〇秒から二〇秒)で終つており、その被害の程度も軽微であつたのであるから、一応形式的には暴行に該るが、右のような事情を仔細に考慮すると、相手方のとつた行動との対比上、やむを得ないもの(すなわち社会的にも許容さるべき相当な行為)であつたと認めるのが相当である。

(4)、そうすると、右公訴事実について、被告人牛尾の所為は可罰的違法性を欠き罪とならないことになるから、刑事訴訟法三三六条により、無罪の言渡をする。

(被告人平田に対する無罪の理由)

一、同被告人に対する本件公訴事実の要旨は「被告人平田は、昭和四〇年八月一一日午前一一時ころ、米子市富士見町二丁目一七九番地、米子勤労者文化センターにおいて、米子労音に対する入場税等、米子労映演に対する入場税の滞納処分として捜索差押をしていた広島国税局職員の岡野進、日野秋義に対し「処分をやめろ。殴らねばわからんか、月夜ばかりではないぞ。覚えておけ。」等と怒号して脅迫し、更に岡野進の胸倉をつかんで同人を同所の机に押しつける等の暴行を加え、もつて両人の公務の執行を妨害した。」というのである。

二、よつて審究するに

(一)、前記証拠の標目欄のうち、判示第二の事実につき掲記しな各証拠(但し証人美濃部同山根の尋問調書とある部分は右同第一四回公判調書中同証人らの各供述部分となる)を総合すれば、相被告人牛尾の罪となるべき事実について補足説明した部分の六、「判示第二の各事実(すなわち労音事件)について」の項目中、(一)1ないし10、記載の各事実が認められ、右各証拠のうち右認定に反する部分は、他の証拠に照らして、これを措信しないことも、牛尾被告人に対する場合と同様である。

(二)、そして岡野ら税務署職員の本件捜索差押の執行行為の一部には多少違法不当の点が存するけれども、全体としてこれを違法ということができないことも、右六、(二)1ないし4に判示したところと同様であるから、ここにこれを引用する。

(三)、そこで被告人平田の所為につき検討する。

1、被告人平田が、連絡により、当日午前一〇時三〇分ころ文化センターに到着し、税務署員によつて張られていた立入禁止の繩をかいくぐつて同事務所内に入り、現に捜索、差押の執行に従事していた岡野、日野等徴収職員に対し、その執行をやめさせる目的で他の労音関係者らと一緒になつて大声で本件公訴事実記載のような暴言を吐いたことは、前判示のとおりであり、このことは、一応外形的には脅迫による公務執行妨害罪に該当すると認められる。

2、次に検察官は、「被告人平田は、更に岡野進の胸倉をつかまえて同人を机に押しつける等の暴行を加えた。」と主張する。なるほど証人岡野は、この点につき、「松田会長が文化センターに来た後、被告人平田が『会長が来たのだから説明をせよ。処分を取消してやり直せ。』と言いながら、自分の胸倉をつかみ、前後にゆすりながら、机に押しつけた。それは、岡野、上山、谷野が並んで立ち、その陰で合田が差押調書を書いていた時である。」旨供述している(前掲証人岡野進の供述部分)。しかしながら、右供述部分は、他にかような被告人平田の行為を目撃した者がなく、特に側にいた谷野が「平田が岡野に暴行したのを見ていない。」と供述していること(前掲証人谷野忠明の供述部分。上山についてはこの点の供述がない。)に照すと、にわかに措信できないばかりでなく、また岡野の供述は他の税務署員の供述ともくい違う部分がかなりあつて、その信用性に疑問が持たれるので、右岡野の供述のみでは被告人平田に公訴事実記載のような暴行があつたと認めるには不十分であり、他にこれを認めるに足る証拠はない。(もつとも証人岡野は「被告人平田は、被告人牛尾が私の足を蹴つている時、後から私の両手をつかんで動けなくしていた。」とも供述している((前掲供述部分))ので、そのような事実が認められれば、右暴行の事実を推認させる事情にもなるし、また後述する被告人平田の行為の判断資料にもなるが、この点についても、証人日野は、「岡野が牛尾から蹴られていた時、平田は岡野の前にいた。」旨の供述をしており((前掲証人日野秋義の供述部分))、両者の供述の間に相当のくいちがいがあるので、たやすくこれを認めることができず、他に右のような事実を肯認するに足る証拠もない。)

3、そうすると、前記1で述べたように、被告人平田が、捜索差押執行に従事中の岡野、日野等税務署職員に対してなした暴言による脅迫行為のみが実質的にも公務執行妨害罪に該当するかどうか(換言すれば可罰的違法性を有するか否か)ということが問題となるので、この点につき考えて見る。

(イ)、前認定のように、税務署職員による本件捜索差押執行手続は、それが全体として違法とは言えないとしても、適法な立会人を置かなかつた点、および第三者帰属の財産を差押えた点に明白な瑕疵があり、また、「私物だから。」と言つて捜索を拒否したにすぎない者に対し、「邪魔をすると、公務執行妨害罪で逮捕する。」と申し向けたり、女性事務員のハンドバツグの中まで調べようとしたりして、そのやり方に可成り不当な点のあつたことは否定できないところである。

(ロ)、そしてこのような、税務署職員の不当な執行行為に対して、執行を受ける側の者が非違を唱えたのに、これを聞き入れなかつた場合、それ相当の非難の声をあびせることは一応やむを得ないところと言わなくてはならない。ところで、被告人平田の述べた非難の言葉は、「処分はやめろ。差押とは何事か。泥棒か、ぶんなぐつてやろうか。なぐらなければわからんか。月夜ばかりでないぞ、覚えておけ。」等と言うのである。そして、それらの文句は、たしかに、相手方の生命身体に対する害悪の告知を内容としており、脅迫的な言辞であること明白であるので、右にいう相応の非難とはいい難いかも知れない。しかし、被告人平田の体格(同人は身長五尺に満たないと思われる程の小男である。)、及び当時の態度からそれが真に迫つた(すなわち、差し迫つた危険が感ぜられる)ものとは認められず、また同被告人だけが常時そう言つていたわけではなく、当時文化センター事務所内に居た数人の者及び入口附近で入室を阻止されていた多勢の労音関係者も口を揃えて、大声で右に似た内容のことを叫んでいたこと、当時税務署側も相当の多人数で執行に従事しており、しかも警察官による警備もなされていたのであるから、多少の暴言はあつてもそれによつて徴収職員の身に危険を感ずる程の状況にあつたとは考えられないこと、及び日野らの徴収職員は、前述のように「みどり印刷所属」の現金、有価証券を差し押えた際、佐野、美濃部らからその非違を再三にわたり指摘されたのに、これに耳をかさずに差押を強行したこと、などの諸事情をも参酌すれば、被告人平田の本件所為は、その被害法益との関連において一応やむを得ない行為(すなわち、社会的に相当な行為)であつて可罰的違法性を欠くものと認めるのが相当である。

4、そうすると、被告人平田に対する本件公務執行妨害の公訴事実は、暴行の点については犯罪の証明がなく、その余の点については、可罰的違法性を欠き、結局罪とならないことになるから、刑事訴訟法三三六条により無罪の言渡をしなければならない。

よつて主文のとおり判決する。

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